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鬼怒川沿いにある大門を経て参道にあたる大門通を歩いてくると、共同墓地を過ぎて家々が建ち並ぶ小高い一帯に出ます。この周辺は古来より「下馬/げば」と呼称されており、いよいよ弘経寺の境内地を望み、騎乗してきた馬や輿を降りねばならない場所に当たります。緩やかな坂道を下り、江戸期の名僧として知られる祐天上人の御手植に由来するという「名号桜」の花列をくぐると境内との境をなす山門があります。『飯沼弘経寺史』には天正年間(十六世紀末頃)に兵火により諸堂宇焼失、僅かに三門の棟木のみが焼け残った・・・と記されており、おそらくは遺存する一部の材料を利用して寛永の大造営時に再建されたものと思われます。野地板に足跡が残されており、御殿移築の伝説と相まって永く「千姫さまの足跡」と信じられてきました。 |
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